年老いてくると、時の流れが早くなるという。

本当にそうだ。

 

来年の7月は田舎の同窓会で古希祝いだと連絡が来た。

古希などとは、どこかよその爺のことだとばかり思っていたのだが

まさか自分がそれを迎えるようになるとはね。

 

還暦を迎えたときも同じような気持ちだった。

あれから10年が過ぎたのか。いやはや早いものだ。

10年間どうやって過ごしてきたんだろう。

ろくに思い出があるわけじゃない。

 

いろいろ出来事はあったのだろうけれど

思い出となって浮かび来る記憶力の筋肉が

老化とともに衰えていっているのだ。

悲しいものだ。

 

久しぶりに、秋を見に近くの公園緑地にいってきた。

秋深くなった山はとても気持ちが良い。

草や立木の葉が落ちて見晴らしがよく、虫もいない。

散策には秋冬の山道がもってこいだ。

 

 

一緒に行ったワンコも、誰もいない枯れ葉が積もった山道を

はしゃぎながら走る。

 

太陽光が強いこの季節、晴れた日は老いの眼にも

ありがたく周りがよく見える。

 

途中、紅葉が傾きかけた日に照らされて、黄金のごとく輝いている所があった。

あっ、カメラ・・・。

 

まあ、こんなときは大体持ち合わせていない。

このタイミングの悪さは私の人生そのものだ。

 

次の機会に必ず撮ろうと思った。

 

うちに帰ってから、あの紅葉のことが気にかかっていた。

今の機会を逃したら来年になる。

来年のなったら、思い出すかどうか保証はない。

 

明日来よう!

 

それがこれ。

ここは最初の日は見逃していたところだ。

紅葉を意識していたせいかよく目に止まった。

周りの常緑の木々とのコントラストが美しい。

 

 

下の写真は、夕日に輝いていたところだ。

最初のときの感動はないが雰囲気は伝わるだろうか。

残念だが、逆光ではうまく撮れる腕がない。

 

 

そして周りを見渡したら近くに鮮やかな赤があった。

 

 

秋の紅葉は、春の桜より爽やかだ。

空気もからりとしてあっさりしているのが良い。

 

そこで、ふと浮かんだのが、「唐紅に水くくるとは」。

 

 

ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

-在原業平朝臣 『古今集』-

 

 

川こそないが秋の鮮やかさは忍ばれる。