仮想通貨市場が喧しい。
つい先だって1ビットコインが230万円を超えたと思ったら
今日は170万円台である。
値上がり方もすごいが、下がる勢いも半端ない。
昨年の今頃、ビットコインを購入したが、そのときは
まだ10万円していなかった。それでも、もう遅いかな
これ以上上がらないかもしれないと心配したものである。
1年で23倍以上、まさに留まることを知らない勢いだ。
リップルに至っては180倍を記録している。
惜しいかな、私はリップルを途中で諦めていた。
仮想通貨で世界が変わろうとしている。
今まさにその入り口に立っているのだ。
この流れはおそらく止まらない。
仮想通貨トークンは言わば企業が発行する株券である。
その株券がお金として使えるものだから便利である。
実際お金として使えるまでの手続きが早くて手軽である。
金融業界、証券業界は激変していくだろう。
証明記録や契約のあるところはブロックチェーンによって
様変わりするに違いない。
仮想通貨バブルだという。
これはバブルだろうか。
やがて消えたなくなるものだろうか。
よく例に出されるチューリップの球根バブル
これと同列に置けるものだとは考えない。
仮想通貨全体の市場規模は、現在のところ50~60兆円程度である。
将来どのくらいまで膨らむかは未知であるが、これで閉じてしまうような
ものではあるまい。ブロックチェーンの技術で支えられる仕事や事象は
ますます増え、法定通貨すら包括されていくのではないだろうか。
その経過で、国家はどのような規制を敷いてくるのか。
旧来の地位や力に甘んじている者はそこから動こうとしないで
変わろうとするものをコントロールしようとするものだ。
既得権益者は変れない。また変わると困るのだ.
流通量で半々ぐらいになったとき、国民や国家はどっちを選択するだろう。
勝負は目に見えている。
常に新しいものが勝つ。
古いものは駆逐されるのが歴史というものである。
仮想通貨は、本来暗号通貨言うのが正しい呼び名だ。
仮想通貨という日本語表現はどこかインスタント的な、
俄出来のやがて消えてゆく儚いものとしてのニュアンスがある。
ここから日本では危ういものとしての先入観が働くのではないか。
それなら
預金通貨こそが仮想通貨と言われるのに相応しい。
暗号通貨とは暗号技術で担保された通貨。
形としては全く新しく、また軽量で面倒でなく邪魔にもならない
スマホ1つでいくらでも大きな金額を持ち歩くことが出来る。
千両箱が紙幣に変わったよりも大きな変化である。
これを考えただけでも銀行はもはや不要だ。
銀行業も証券業も、通貨が入れ替わるまで業態を変えなければならない。
そのスピードは皆が考えている従来の変化より数倍ないしは数十倍は早い。
人間の手によるものではないからだ。
コンピュータによってなされるものだからである。
通貨大変革の波はそこまで来ている。
暗号通貨市場はバブルでは決してない。
走り出し前の暖機運転の発熱程度であろう。